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TRES ATHLETE CHALLENGE DOCUMENT VOLLEYBALL:001

Arisa Sato 佐藤 あり紗

PROFILE

1989年7月18日生まれ。宮城県出身。母と姉の影響を受け小学2年生からバレーボールをはじめる。東北福祉大学時代にポジションをリベロへと転向。2012年から日立リヴァーレで活躍し、2013年には全日本女子メンバーに初選出される。その後、膝の故障から一時は引退を考えるも2016年全日本に復帰。リオデジャネイロオリンピックに出場する。2018年からは地元仙台に戻り、リガーレ仙台の創設に参加。2019-20シーズンからは選手兼監督としてチームをVリーグ参入へと導く。その他『2個バレーボール大会』の主催、バレー教室、各種講演、SNSを活用したPR活動などを通して宮城県を盛り上げるためのさまざまな活動を積極的に展開中。2021年よりTRES VOLLEYBALLアンバサダー就任。

| Episode1 |

「 どんなときも自分らしく。それがオリジナルにつながる 」

自分への応援というボールを感謝でレシーブする。パス回しはいつしか周囲を巻き込み、点から線、やがて面に広がる。まるでラリーを楽しんでいるように見えるのが、佐藤あり紗選手の仙台での活動だ。日本屈指のリベロとして幾度となく大舞台で活躍した彼女の口からは「応援」「感謝」そして「挑戦」という言葉が繰り返される。これらのキーワードを頼りに、佐藤あり紗の過去と現在をトレースしつつ、未来を展望してみたい。 

― 2018年に日立リヴァーレを退団して、最初にやりたいと思ったのは地元である仙台への恩返しでした。学生時代から何度もバレーボールを辞めようとしてきた私をその都度支えてくれたのがチームメイトや指導者、それに地元の方々だったんです。みんなの励ましがあったらこそ踏みとどまれた。代表にも選抜されたし、オリンピックも経験できた。いまの私があるのは仙台のおかげといっても言い過ぎではありません。だから今度は応援する側に回りたい。バレーボールで地域を盛り上げていきたい。

そんな思いで地元に戻ると、タイミングよく仙台でVリーグ加入を目標とした新しいチームが創設されるという話が。個人的な活動も両立できるとのことで『リガーレ仙台』の立ち上げに参加しました。いまはチームでの選手兼監督という活動のほかにバレー教室や、みやぎ交通安全広報大使、地元のCM出演、講演会、そして地元の飲食店や観光地をSNSで発信しています。

これまでバレーボールひと筋の人生を歩んできたので、講演活動とか情報発信などやることなすことはじめての取り組みです。多くの人の前で喋るのも得意じゃありません。だけど声をかけていただいた以上、やらないよりやるほうを選ぶ。不器用ながらもチャレンジしている私の姿を見せることで、誰かの頑張るきっかけになりたい。そんなふうに思って奮い立たせているんです。

確かに不安に感じることはあります。そんなときこそ感謝の気持ちを思い出す。そしてまずやってみよう、と。上手くなくてもいいから自分らしく。自分らしさがあればそれがオリジナルな取り組みになるはずだ、と開き直りつつ挑戦を続けています。

リガーレの監督を打診されたときも、最初はお断りしたんです。ただ、他の選手が競技を辞めて監督に専念しなくちゃいけなくなるぐらいなら、と引き受けたんです。いままで考えたこともない監督業ですが、せっかくやるならその立場からもいろいろ学ぼうと思いまして。いま資格取得に向けて準備中です。

| Episode2 |

「 2個バレーを全国に。そして全国大会を宮城で 」

彼女とバレーボールの出会いは幼稚園時代までさかのぼる。母親のママさんバレーについていった時に遊びで打ったサーブが偶然入り、周りから褒められたのがきっかけだ。その原体験が顔をのぞかせるのが『2個バレーボール大会』の主催である。2個バレーは競技中にジャンプをしないので膝を痛めることもなく、長く競技を楽しめる。過去に膝が原因でバレーボールを諦めかけた自分、そして実際に諦めてしまったママさんたちを見てきた彼女の想いがつまった取り組みだ。

― 宮城県をスポーツの力で盛り上げていく中でいま最も力を入れているのが『2個バレーボール大会』です。今年で2年目になるのですが、24チームの出場枠に対してなんと45チームからのお申し込みがありました。特に大々的なプロモーションをやっていないのにここまでエントリーが増えたのは、昨年参加された方の口コミの力だと思います。本当にありがたいですね。「次回は2日間開催にしようか」とか「午前と午後で分けてもいいね」なんていまから来年の話で盛り上がっています。

2個バレーボールって文字通りボールを2個使って1本目で返球する競技なんですが、もともとは日本代表のときのアップでやっていたんです。そのときにこれは周囲のメンバーとのコミュニケーションを深めるのにぴったりだな、って思って。私、人見知りなのでずいぶんと救われたんです(笑)。それで、いつかこれを大会にできたらな、と思うようになったのがきっかけです。ジャンプをしないので膝を悪くすることもないし、初心者でも年齢性別も関係なくできる。家族みんなで楽しめるスポーツって素敵ですよね。

ルールも小学生でも楽しめるようにアレンジ。また昨年参加された方のご意見なども参考にしてブラッシュアップを図っています。ゲームも大会も育てている感覚ですね。回を重ねるごとに洗練させていきたいです。将来的には全国各地で大会を開けるようにして、全国大会はもちろん宮城で。去年も今年もコロナの影響で宮城県在住の方のみが対象なんですけど、少しずつ参加者の輪を広げるつもり。

そのためにも私自身の発信力をもっと高めていかなくては、と思っています。Twitterやインスタグラムをフォローしてくださっている方が増えてはいるのですが、個人的にはまだまだだなと。ひとつのことに集中して投稿すれば増えていくということはわかってはいるんですけど、活動範囲が広いので分散しちゃうんですよね。とはいえ私らしさは失いたくないですし…いまそのあたりを研究しつつ、改善に向けて試行錯誤を繰り返しています。

| Episode3 |

「 やりたいことを口にする。そして勇気を出して楽しむ 」

大胆なようで繊細。剛でありながら柔。積極的なのに謙虚。相反する性質を絶妙なバランスで併せ持つのが佐藤あり紗の持ち味である。だからだろうか、いつも「わが道を行く」スタイルなのに驚くほどナチュラル。肩に力が入っていない。それはきっと、わがままや利己的な考えではなく、やることすべてがあくまで相手や周囲を想っての行動だからだろう。これからも佐藤あり紗の挑戦は続く。宮城県がスポーツや観光の力で盛り上がり、国内はもちろん世界からも注目を集めるその日まで。 

― これまでで最も大きなチャレンジは大学3年生でポジションをリベロに変えたことですね。いまにして思えばここから人生が大きく変わった気がします。もともとは保育士になりたかったのでバレーボールは大学までのつもりでした。だからこそ最後はチームに貢献したくて、自分の身長と身体能力を活かせるリベロに挑戦。それまでのスパイクを封印してレシーブ一本でひたすら練習を積みました。

もちろん不安でした。アスリートにとってポジションを変えるのは勇気もいりますし、退路を断つ覚悟も必要です。だけど、結果としてそのおかげで実業団にも入れたし、全日本女子にも選抜されました。あのときのポジションチェンジを受け入れてくれたチームや監督には感謝しかありません。

しかも保育士になりたかった夢もバレー教室に形を変えてほぼ叶っています。大好きな子どもたちに大好きなバレーボールを教えているとき、ああ好きなことが同時にできているなあ、幸せだなあって実感するんです。

だからいま、長きにわたる選手生活の中で最も充実した毎日を送っています。すべての原動力は感謝の気持ち。そしてご縁を大切にすること。謙虚さも大事ですね。謙虚であればやったことのないことでも勉強させていただく、という姿勢で向き合えば何か必ず得られるはず。おかげでこの先もたくさんの新たなチャレンジが待っています。

なにかにはじめてチャレンジするときって、不安ですよね。勇気もいるし、覚悟も必要です。だけど人生は一度きり。ありきたりな言葉かもしれないけれど、やらないよりやっていろんなことを感じたほうがいい。楽しいことばかりじゃなくて、苦しいこともあるけど、やらないより得るものはたくさんあるはず。すぐに周囲から共感してもらえるとも限らないけど、地道でも続けていれば応援しようと思ってくれる人、きっと出てきますからね。

チャレンジしたいことがあれば口にして、勇気を出して、楽しむこと。そして手を貸してくれる人や仲間を大切にして、感謝の気持ちで恩返しすること。このスパイラルがまた誰かの何かのきっかけになり、広がっていく…そんな大きな円環を地元のみんなで描いていけるといいなって思っています。

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TRES SPORTS WEAR アンバサダー佐藤あり紗選手が主催する2個バレーボール大会のダイジェストトレーラー

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