松村澪さん/中野誠也
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それではさっそくお二人の自己紹介をお願いいたします。
中野選手)中野誠也です。幼稚園の頃に兄の影響でサッカーを始めました。中学校からジュビロ磐田のユースチームに所属し、高校卒業時にTOP昇格とはならなかったので筑波大学に進学しました。筑波大学を卒業後、ジュビロ磐田に入団しました。その後、岡山へのレンタル移籍などを経験したのち、現在は大宮アルディージャに完全移籍してきました。
松村さん)松村澪です。3歳の頃からサッカーを始めました。小さすぎてなぜ始めたかは覚えてないです。両親に言われたわけでもなく、気がついたらボールを蹴ってたらしいです。小学生になり、色々な習い事をしていたけどやっぱり夢中になれたのはサッカーで、100人のサッカー少年団に一人だけ女性で入団し、6年やり続けました。小学5年生の時に女子の東京都選抜に選出していただいて、その時になでしこJAPANの清家貴子選手(三菱重工浦和レッズレディース所属)、今海外でプレイしている籾木結花選手(レスター・シティWFC)と一緒にプレイする機会があり、励まされながら、サッカーって楽しいなってプレイしていました。中学、高校はスフィーダ世田谷FCのセレクションを受けて、合格して。そこで6年間プレイしました。やっぱりそれでもサッカーを続けたいと思い、成城大学の女子サッカー部に入部。大学卒業と共にサッカー選手は引退しました。ただ、小学校で世界クラスのプレイヤーと一緒にプレイしたことで、その時から”この人たちの凄さをもっと伝えたい”と強く思うようになり、伝えられる手段でもあるアナウンサー、スポーツキャスターを目指しはじめました。もちろん、サッカーも好きだったので、プレイと両立して夢を追いかけてました。現在は、三桂にフリーアナウンサーとして所属し、サッカーやスポーツの魅力を伝えるお仕事に関わらせていただいています。
お二人にはTRESの撮影にもたくさん協力していただいていて、結構仲良くなったと思っているんですが、改めて二人のルーツを聴くと新鮮で面白いですね。
一同)ははは。
中野選手、これはどう聞いていいのか難しいのですが。ユースでジュビロに入団して、トップに上げられないって言われたのにも関わらず、大学卒業時にジュビロに入団したということでしたが、それはジュビロ側から"やっぱり戻ってきてほしい"と高校時の評価を覆したということですか?
中野選手)そうです。高3の夏くらいには”上には上がれない、大学卒業したら戻ってきてほしい。”といった内容の話を受けました。大学に進学した直後位には正直、”絶対ジュビロには戻らない。後悔させてやろう”という気持ちだったんですが、大学生活をしているうちに、気がついたらジュビロでプレイしている自分を想像していて。いつの間にかジュビロに戻りたいと思うようになりました。大学生活中にずっと気にかけてくれてたのもジュビロだったし、在学中にジュビロの成績が良くないシーズンは、大学生ながら悔しい気持ちになったりしていて、ああ自分はジュビロに戻りたいんだなと気がつきました。
最初は悔しさで見返してやる!っていう反骨精神で頑張ってたけど、その根底には”ジュビロでプレイしたい”っていう気持ちがずーっとあったってことなんですね。
中野選手)はい、大学3年の時にはプロとしてのオファーをいただいていたので、その時にはジュビロでプレイするって決めてました。
その時はどういう気持ちでしたか?
中野選手)ある程度、大学から活躍はできていたのでジュビロに戻れる感覚はありました。それでも実際に戻れるって決まった時は本当に嬉しかったです。
大学進学ということは4年間はプロから離れるというのが決まっている状況です。もちろん学生なので勉強もしながらですし、すごく大変だと思います。実際にプロの舞台に立つと決まった時、自分の中で意識的な変化だったり、アマチュアからプロになる切り替えみたいなマインドセットはありましたか?
中野選手)プロになるのは夢でしたが、大学在学中に現実味を帯びてからは、”プロで活躍する”という目標に変わっていたので、自分の中でプロとしての意識はずっと持ってたし、気持ちの変化はなかったですね。
中野選手がずっと大事にしていたこと、サッカーとの向き合い方や取り組み方は今回のテーマの”習慣”に通じるものがあると思います。その時から自分の中で習慣化されてることってなにかありますか?
中野選手)昔からずっと思ってることとしては、自分より上手い選手なんていくらでもいて。常に上を目指さなければいけない。常に自分は下にいる。というハングリー精神です。それが次にやること、今やるべき行動とかを考える上での軸になってました。今、自分は上を目指さなきゃいけない。日本代表だったり、世界の選手だったり。そういう選手より自分は頑張らないと追いつけない、だからやる。というメンタルは常に持っています。それが行動への習慣になってるんだと思います。
それが全ての原動力だということですね。
中野選手)そうですね。実際にやるべきことってたくさんあって。食事だったり、自主練だったり、ウエイトトレーニングだったり。その全ての原点の考え方でした。
なるほど、超ストイック。でもやっぱりどの競技にも共通して言えることは、だいたいプロのアスリートってのはどこかしらか頭のネジ外れてますよね。
中野選手)わかります、間違いない(笑)
中野選手の場合は、現状に満足せずに常に成長していきたいという欲求が人一倍強いんですね。
中野選手)そうですね。他人と比べたことがないのでわかりませんが、自分の中で上を目指し続けたいという考えは常にあります。
ありがとうございます。参考になりました。
それでは次は、松村さん。3歳からサッカーというのは、誰の影響で始めたんですか?両親でしょうか。
松村さん)いやほんとに覚えてないんですよね。気がついたらボール蹴ってたんです。
でもほら、確か松村さんのお母さんもサッカーやられてますよね。その影響とかではないのでしょうか。
松村さん)お母さんが私をサッカーの送り迎えをしてくれてるうちに、いつのまにか自分も始めちゃったって感じです。父はもともとサッカーをやっていて、両親はサッカーが大好きだったんです。1993年の一番最初のJリーグ開幕戦のチケットも取って観に行くくらい。だからおそらくDNA的なもので自然と惹かれたのかなーと思いました。
なるほど。
松村さん)私の姉がバレエを習っていて、妹なので連れて行かれるじゃないですか。体験的な。そこで開始30秒くらいで大泣きして、帰る!!!ってなっちゃったらしくて。(笑) そんな感じの子だったのにサッカーに行ったら、本当にずっと楽しくて。
そういうスタートでサッカー始めるのって珍しいですよね。
松村さん)そうですよね。大体は兄の影響で〜とかだと思うので。両親はサッカー好きでしたけど、私に勧めることもなかったですし、誰かの影響とかではなくて本当に純粋にボールを蹴るのが好きだったんだと思います。
今の時代であれば、男だからとか女だからとかそういう話はないと思いますが。当時だったら”女子でサッカー”という選択について、周りから何か言われることはあったんじゃないでしょうか。
松村さん)めちゃくちゃありましたよ!それこそ小学校は本気でやる子しか入らないので、私以外女の子はいなかったですし。対戦相手に目の前で、”おい!あっちに女いるぞ、余裕じゃね”とか”女だから体ぶつければ終わるだろ”とか言われたりしてたんですけど、そういう部分に対してはすごい気が強かったんで・・・
はい、気は強そうです(笑)
松村さん) (笑) ずっと根に持って、ギャフンと言わせてやろうと思ってプレイしてました。やっぱりなめられっぱなしは嫌だったので、何か1番を取ったらもう何も言われないんじゃないかと思ってて。そこからリフティングの練習をたくさんしました。それでリフティング試験とかも合格して。当時はリフティング女王って呼ばせてました。(笑)
呼ばれてたんじゃなくて、呼ばせてたってがキーポイントですね。
はい、男の子に対してはそれくらい気が強かったです。
やはりそこら辺はあれですね。松村さんもネジが外れている部分があって、そこがうまく中野選手とハマったということなんでしょうね。
ははは(笑)。言っちゃえばちょっと変わり者同士ではありますよね。
中野選手)僕よりねじ外れてますよ!
松村さん)間違いない(笑)
男の子だったら、例えばそこからプロになるという文脈じゃなくても、スポーツを通して学べるものとか培えるものってあると思います。ただ、例えば自分の娘がサッカーやるってなったら、”膝を擦り剥いたりして跡にならないかな”とか色々心配しちゃうかもしれないですね。
松村さん)思いますよね!でもそこに関してはうちの母はめちゃくちゃ体育会系だったので、何も言われなかったですね。逆に母方のおじいちゃんに母は怒られたそうです、怪我したらどうするんだ!って(笑)。でもそんなことも気にせずに、本当にいろんなスクールとかチームに行かせてくれて、週5くらいはサッカーしてました。どこも男の子だけでしたけど。
すごいですね。
松村さん)今思えば、その当時そこまで全面的に協力してもらえたからこそ、今こんなにサッカーを好きになったんだなって思ってます。
中野選手は、幼稚園くらいからサッカーを始めたと聞きましたが、”プロになりたい”と思うようになったのは何歳くらいですか?
中野選手)ジュビロの下部組織に入った時くらいですかね。地元なので、Jリーグの試合も見てましたし。同じエンブレムをつけてプレイするようになった時に、このエンブレムでプロになりたい、スタジアムでプレイしたいって思うようになりました。
なるほど。逆に松村さんはそこまでサッカーに夢中になっていたのにプロになりたいというか、サッカーを仕事にしたいって思ったりはしなかったのでしょうか。
松村さん)私はそれこそ東京都選抜に行った時にその気持ちは無くなりました。みんな段違いにうまくて。見入っちゃって。それを悔しいって思わなかったんです。むしろファンになっちゃった(笑)。だからこっち向き(メディア)だったんでしょうね。私は上手じゃなかったので、ベンチも多かったんですけど、ベンチで試合見てることも好き、その空間が好き、こういう話題を誰かに共有するのも好きだったんです。もちろんプレイしてる時は全力だったし、頑張れる自分自身も誇りに思ってはいたけど、”プロ”となると、決して悲観的な意味ではなく、こんなに上手い人たちがたくさんいるんだから、自分は違うって思ってましたね。
わかります。僕も1年間、偶然プロになれた経験がありますが、トップの選手たちを見て、”違う競技?”と思うくらいにプレイの質が違いました。本来はそこに悔しさを覚えて、努力すべきなんだろうけど、努力しても追いつけないレベルだって思ってしまって。悔しいというより、めちゃくちゃリスペクトが勝るというか。
松村さん)もちろん、私より上手な子達なんて私と比べ物にならないほどの時間を練習やトレーニングに費やしています。でも私は、オフはオシャレも好きだし、可愛いってことにも興味がありましたし。その時点で違いますよね。(笑)でもじゃあ自分は何がしたいの?って思った時に、本当にこの子達を伝えたい。もっといえば、サッカーにはいい思い出しかないのでサッカー女子を増やしていきたいなと。さっきKCさんが仰ったように”女子でサッカー”ってプロ目指すの?みたいになりがちじゃないですか。でもプロを目指すだけではなく、私のようにゴリゴリにサッカーをしながら、楽しい思い出と共に大人になっていく、そんなサッカー好きな女の子が選択できる競技であるように、そんな女の子がもっと出て来れるように私は今指導してます。
それはすごい素敵なことですよね。では、中野選手のようにプロになるとストイックに一直線ではなく、色々な選択肢を持ち広い視野のままサッカーに夢中になってたということでしたが、その中で自分で習慣化されてるなと思うことだったり、考え方はあったりしますか?
松村さん)習慣かぁ。やっぱりその時もアナウンサーになりたいって目標があったし、どの年代の自分を振り返っても必ず何かしらの目標を持って過ごしていたと思います。やっぱりこのサッカーの面白さを伝えたい、アナウンサーになりたいってすごく強く思っていたので、目標がある生き方が当たり前になってましたね。習慣化された考え方ですね。
へー、なるほど。常に目標を持ち続けるか。やはり女の子では珍しい考え方ですよね。変わってます。
一同)ははは(笑)
松村さん)そうですよね。変わってますよね、私。なんか同じ年代の女の子と話してると自分は変わってるなって思います。
はい。アスリートマインドなんだと思います、常に。
松村さん)でもそれは常に周りの人たちからパワーもらってるから、モチベーションになってるんだとも思います。例えば、当時出会った子たちがなでしこで頑張ってる姿を見たら、やはり私も頑張ろう!!ってなりますし、女子バスケの実況してる時も麻央(岡田麻央:TOKYO BB)さんや葵(桂葵:ZOOS)さんが自分たちの発信をSNSで積極的に行ってるのをみて、可能性って無限大なんだなって改めて思いました。だからこそ、それは私には真似できないけど、自分にできることも何か必ずあるんだろうなって常に思います。本当にいい環境に居させてもらってます。
それは周りももちろんすごいと思いますよ。でも、周りの人たちのモチベーションを燃料に自分のモチベーションもあげて走り切れるってのは松村さんの能力ですよね。
松村さん)ありがとうございます。女の子だからって、諦めることって一つもないと思うんですよ。難しいことはたくさんありますけど、可能性はあるから。なんでもいいので目標をもってほしいなぁって思います。
それこそ、松村さんみたいにアナウンサーになりたい。でもサッカーを全力で頑張る。って一見、何も繋がってないように見えますが、モチベーションや熱量って部分に関してはサッカーを通してアナウンサーになりたいって思えたから、きっかけの部分であるサッカーを頑張れるってことですもんね。
そうです、そうです。
すごい面白い考え方だと思います。なんかハッとさせられました。ありがとうございました。
中野選手、ルーツではなく今の話を少し。TRESのアンバサダーとして活躍してくれているので、昨シーズンの試合は追いかけていたのですが、なかなかに厳しいシーズンだったと思います。もちろん中野選手にもいろんな選択肢はあったと思います。その中で、もう一度大宮のユニフォームを着てプレーすると決定した一番の理由を個人的に聞きたいです。
中野選手)一番長い在籍期間になったのが大宮アルディージャなんですけど、一つは降格させてしまった責任です。もちろん、移籍が悪いとは全く思わないです。ただ僕の中では、一人の人間として上にチャレンジする、チームを引っ張っていくという経験は貴重なものだと思いますし、そこを通して自分自身ももっと成長したい。みんなで大宮アルディージャを上に上げたいという気持ちがあったので、この選択をしました。自分としてもなかなか不甲斐ないシーズンが続いていて、あとがないと思ってますし、今年が勝負だと思って。カテゴリーだけ見たらJ3ですけど、自分自身の今後のサッカー人生も含めた勝負の年として準備に臨んでいるところです。
自分なりの覚悟を決めてチャレンジするってことですね。頑張ってください!本当に応援しています。TRESとしても可能な限りのサポートをさせていただきます!
話を少しスポーツブランドらしくTRESの話題に。これまで二人とも色々なウェアを着用する機会があったと思いますが、TRESのアンバサダーになってもらった上で、TRESに対してどういう感想をお持ちですか?
松村さん)私は前から知っていたブランドで、シンプルに試合とかでも目にする機会が多かったので嬉しかったのと、パーソナルアイテムのデザインが好きです(笑) ファッション性があって。だいたいサッカーブランドの練習着ってデザインターゲットが男性向けのものが多いんですけど、TRESさんの場合はシンプルだったり、ピンクがあったり女性でも着用できるものがあるのですごく嬉しいです。女性におすすめです。
中野選手)いわゆるサッカーブランドって、サッカー界に根付いているデザインが主流なんですけど、TRESさんの場合はそうじゃなくてバスケだったりバレーだったり他の競技の特性も含んだサッカーウェアという感じがして、斬新ですごく好きです。あとはTRESのロゴが好きです。
松村さん)私も好き。現代っぽいというか。
ありがとうございます。嬉しいです。単品商品のデザインに関しては、自分も現役でプレイしている中で、基本的には自分が着たいなって思えるようなものを意識しています。柄物というよりはシンプルで着心地だったり、機能性だったりに注力していますね。でもやはりユニフォームに関してもオンラインショップなので、機能性については伝わりづらい部分が多く、課題ですね。
中野選手)そうなんですね
例えば、サッカーのユニフォームでUVカットだったり、アンチバクテリア、生乾きの臭いが出づらい加工とかがあるんですよ。そういう機能を細かく文章で説明しても、興味がある人は見てくれるんですが、その機能性の価値に無関心な人に伝えるのが難しくて。Web販売ということもあって、大体はデザインと価格で比較されることが多いので。
松村さん)それ、めっちゃ話したかったんです!主婦として、TRESの服は洗濯しても本当に汗の匂いが残らなくて。何回着ても洗うと全部においが消えてる。うちでいうと誠也くんが汗をよくかくんです。それで、普通のTシャツだと1シーズン着るとどうしても汗の匂いがついちゃうときがあるんですけど、TRESさんのを部屋着にさせてから、毎日着てても全くにおいがつかなくてすごいなと思ってました。
そう、すごいんです。うちのウェア。もっと言ってください(笑)!
松村さん)それに気づいてから私も過去にいただいたウェアを練習はもちろん、部屋着にもさせてもらってます。私が気が付いてからは私の方が多く部屋で着てるかもしれないくらい(笑)
中野選手)あと、圧縮袋はマジでみんな買った方がいい!!(笑)
ありがとうございます!あれは本当にスポーツ選手のQOLが爆上がりするアイテムだと思ってます。
中野選手)いやーあれはマジでレベルが違います。旅行だったり遠征だったりいく機会がある人は絶対持ってた方がいいです。
圧縮袋もそれこそ100均だったりから出てたりもするんですが、あの頑丈さとあのサイズってのはなかなかなくて。あれがどの競技においても大きすぎず、小さすぎないベストなサイズだと思ってます。本当にこのインタビュー見てる方、一度買ってみてほしいです。資材の値段が高騰してるので、今の在庫がなくなったらこの価格では絶対に出せないクオリティなので。
松村さん)しわくちゃにもならないし、本当におすすめです!
生地と汗臭い匂いについてですが、あまりこういった製作の裏側の話をすることはないのですが、いい機会なのでアピールさせてください。スポーツウェアを製造するだいたいの工場は生地屋さんから生地を購入してそれを加工してユニフォームだったり、練習着を作ることが多いです。でもTRESの工場は糸や繊維の状態で購入していて、自分たちで生地も編み込んで作っています。だから、品質が常に安定していること。プラスでアンチバクテリアという汗臭くならない薬品を特殊な加工で塗布することもオプションとして用意させていただいています。実は薬品塗布は洗濯していれば2-3年くらいで効果が切れるものです。それでも、いろんなお客様から5年経っても臭くならない、ヨレないみたいな話をありがたいことに沢山頂いています。もちろん丁寧に使って頂いてるというのが大前提になりますが。
松村さん)そもそも、服が生乾きというか汗臭くなる原因ってなんなんですか?
あれは、バクテリアの仕業ですね。あの少しつーんとした臭いというか刺激臭は服についたバクテリアが皮脂とか汗の成分をたべて排出した排泄物の臭いです。
松村さん)へー、そうなんですね。
最初はそんな臭いはつかないのですが、服は使ってればどうしても擦れたりヨレたりして、目には見えないバクテリアの棲家みたいな隙間が出来てきます。そこにバクテリアが住み着いてしまって、臭いを感じる仕組みです。洗濯物を干すときにすでに生乾きの匂いがするなど、ひどい時は漂白したりすると思うんですが、それだと一時的には臭いは消えますがバクテリアの棲家自体は残っているので、時間が経てばまた新たな入居者がやってきて臭いがしちゃうんですよね。
中野選手)そういうことなんですね。
それでアンチバクテリアという機能は生地にその棲家を作るスペースを作らせない機能です。もともとのTRESのウェアの頑丈さときめ細かさはバクテリアの棲家が出来づらいのですが、そこに更にコーティングすることでそもそものバクテリアが付着できない状況にするので、全く匂わないという仕組みです。
松村さん)知らなかったです。
自分も最初はこういう機能を信じないタイプの人だったので、自分で使ってジップロックに入れて1週間くらい放置してから洗濯するという実験をしてみました。そうしたら、全くにおいがつかなくて。そこからは自信を持って世に送り出しています。ひょっとしたらTRESのウェアを使ってる本人たちよりも洗濯する人のほうがこの機能に気がついてるかもしれないですね(笑)
松村さん)この宣伝文句を使ってみます!
ありがとうございます!ぜひ!
最後にせっかく二人なので、この話題をお願いします。常に自分に厳しく上昇志向で頑張ってきた中野選手と、男の子には負けない!でも可愛くありたい!とボールを蹴ってきた松村さんはどういう形で親交が始まったんですか?
松村さん)大学生の頃に共通の先輩がいて、その方の紹介ですね。それで連絡をとるようになって。その頃は誠也くんがサッカー選手って知らなかったんです。プロ1年目だったんですけど。なんか、”俺、サッカー選手なんだよね!”って言うようなタイプじゃなかったから(笑)
中野選手)だってなんか恥ずかしいじゃん(笑)
松村さん)もちろん途中でJリーガーなんだと気づいたんですけど、アピールしてこないなんて硬派なんだなーって思いまして。そこから遠距離だったんですけど、連絡とって仲良くなってって感じです。私がこんな感じでいっぱい喋って、誠也くんは全部うんうんって聞いてくれる感じで。逆に私喋りすぎて誠也くん大丈夫かなって思いますけど、わたしにはぴったりでした。
例えばプロサッカー選手の奥さんって、シーズンが始まっていろんな試合とかみたり応援したりすると思うんですけど、相当感情移入してメンタル大変なことにならないんでしょうか?
松村さん)もう、別物です。私が好き!楽しかった!というサッカーとは完全に別物です。毎日練習してるから、怪我のリスクももちろんあるし、誠也くんが目指してるもの、必死に頑張ってる姿を一番近くで見てるからこそ、1試合にかける気持ちの重みが違う。もう、ドキドキ。
やっぱりそうですよね。
松村さん)だからこそ、点を決めた時とかは本当に嬉しい。本当に嬉しい時って体が先に反応するじゃないですか。人目を気にせず、”うわー!”って叫んじゃいますね(笑)
(中野選手は終始にこにこ笑顔で聞いていました)
中野選手としてはどうですか?
中野選手)そりゃ嬉しいですよ、そう思っていただけるのは。もちろんプレイ中なんで気付けはしてないんですけど、自分がプレイできるのは支えてもらっているからこそなので。
なるほど。やはりプロアスリートなので、責任を共有してくれる存在のパートナーってすごく大事なので、どういう関係性でどういうスタートだったのか気になっちゃって聞かせていただきました、ありがとうございます。それでは、最後に来シーズン?今年の抱負をお願いします!
中野選手)今シーズンはチームをJ2に戻すこと。ここに全てをかけて結果にこだわって闘います!引き続き応援よろしくお願い致します!
松村さん)常に目標を持ち続けて過ごします!
中野選手、松村さん、本日はありがとうございました!
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